真・ペペロビッヒ少佐のだいぼうけん S-05「空が紫色だから」

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 笑しいわ。可笑しい。これで呪術は成功したの本当に。こんな雑念だらけの人間がいるのに。
振り向けば何百の坊主頭……目を瞑りながら意味不明の言葉を合唱している一同。聞くところ語句や語調に一寸の違いもなく合唱は見事に洗練されていた。
横をみると姉妹たちが同じく祈祷を捧げている。向かって御前に立てられた無数の燭台_数は恐らく祈祷者の分だけあるのだろう_にロウソクの紫色の炎が全く揺らぎもせず直立したまま燃えていて、それは風が吹いても雨が降っても何ら影響のない呪術的な造り物であることを示していた。

 (お姉ちゃんは共有した仮想領域内のレンガ造りといっていたわ。レンガを塗り固めるように術を組んでいくらしいの。でもって今回のレンガ造りは相当きびしいからあんたも出来ることがあるなら手伝いなさいっていうけどあたしはわからない。仮想領域を共有する前提からもう駄目。だいたい仮想領域ってなによ。そんなの今までの術でやってこなかったわ。何であたしに出来ないの。皆できてるのに。あたしを天才だって言ってたじゃない大お姉ちゃんも小お姉ちゃんも。

爾支様に及ばないから。あたしは外で修行をしなかったから。嫌だわ。最年少だからって雑に扱うなんて。)
再度横をみて姉たちが動かないことを確認する。背を伸ばして咽んでみた唾がごくりと鳴って、ゆっくりと喉を降りていく最中にも、姉たちは一人として動かなかったし目を開かなかった。正座を組んだ足の親指を動かしてみてもだ。宙にでこぴんしてみる_親指を弾いた人差し指が僅かながら擦れる音を立てたが、それでも姉たちは動かない。
視線は姉たちに向けられたまま、尻を挙げて膝立ちに、それから膝をあげると予想外に大きい布擦れの音が立ってしまったが、意を決して右足裏を地に着いた。さてもう後戻りは出来ない。言い訳の聞けない舞台だ。合唱の声音より心臓の脈音の方が心なしか大きくなるのを感じながら、一気にすくりと立った。思わず笑ってしまいそうになったが、この場は我慢党が選挙で圧勝これより彼女の君主制。幸いにも戸は空いていて音に気を配らせながら一目散に伽藍を去った。
燭台の火が一つ、大きく揺らめいていた。


 笑しい可笑しいこんなの冗談じゃない本当に。これは現実なのに。
燭台で照らされた探鉱_そこは酷く血の臭いがした_をようやく抜けたペペロビッヒ。抜けたと言ってもまたもや暗闇。ぶーんと音がなる。彼が不用意に足を踏み入れた場所は生ゴミ捨て場と疑うほどの臭気が充満していたが、臭いも気にかからないほど暗いので壁にかかっていた燭台を松明にして持ってくると、闇を照らす炎が燦々とその惨状を見せつけた。
まず目についたのはハエで、鳴っていた音は電子音や駆動音などではなくハエの旋回音だと分かる。次に飛び交っているハエたちから下へ目をやると……死体。それも人のだ。死体だと分かったのは臭気とハエのおかげ。仮にも彼は一介の軍人で死体など見慣れたものだったが、松明が照らすたびに暗闇から出でるそれは死体というより干乾びたミイラ。見たところどれも此れも水分が足りていないようで痩せこけていた。岩肌に漏れ出したどろどろと煮える溶岩……そう比喩できてしまえるほどに崩れた肌が死体を見るも無残な有様にしていて、顔を顰めてしまう。安らかな死に顔だけが慰めだ。
(死者はそっとしておいてやるべきだな_冷たい地中の世界で。)
油断のできない見物を進めていく。抜け落ちた髪の毛に窪んだ眼窩、顔だった頭蓋骨を確かめると辛うじて性別は女と分かり、体型を検めるとそれは年端のいかない少女……これで少女の遺体は三つ目。ここが何らかを施された死体遺棄の現場であることを確信する。跪いて目を閉じ「汝らに幸あれ」と呟いて、葬儀の場で神父がそうするようにペペロビッヒは祈った。こういう時、人殺しである自身の職業が意識されずにいられないのだ_その気位は如何なる奉仕精神に負けないものだと言ってもいい。この瞬間に天国や地獄といった階層を意識さえした。
(死んだ者は死んだものだ)跪く彼に眠る死体。(だからこそ生者は敬うべきなんだ。)揺らめく松明の炎だけがこの空間で動く。
だが_何処からか空気の漏れるような音がした。松明を掲げ持つと隣の死体が力なく手を開閉させている。知っているジェスチャーの限りでそれは手招きと認められるものだ。死者の手招きで連想するは一つ。「えっと……あっ俺も死んだのか」彼の得意技であるご都合的解釈。「それともこれは夢?」よく見てみるとその死体は見覚えのある服を着ている。というか自分と同じ服だった。「なるほど俺はお前だ、そして俺は体を離れた幽魂」
「ちゃ……います……よ……副隊長……」確かにそう言った。「なぜおれを知っている?」闇に目が慣れてきて、よくよく見るとその死体は知っている生者の顔に認識がすり替わる。「お前フリスビーじゃないか、他に仲間はいるのか」生者それも仲間がいて一瞬、顔が綻んだが見るところ明らかにフリスビーの容態は良くない。
「他も恐らく……ここに……でも……俺以外は……もう」
「やられたのか、いったい何をされたんだ」
相当に衰弱した様子のフリスビーは息を吸った。その大きく吸い込んだ音は死期の近さを表わしている。「分かった、もう喋らなくていい」
「副隊長……ホラームービー……」
「おいこんな時に何だ」
「お好きでした……よね」
「そうだが今はお前のが好きだぞだから、」ゆっくりとフリスビーの頬が動いて笑みの形をとった。息は吸われない。「死ぬなっ」そうしてその笑顔のまま、文字通り息絶えたフリスビーは逝ってしまって、場に言葉を失ったペペロビッヒが取り残されて一人。後は死んだものだけ。
彼はゆっくりと立ち上がると、その場を離れたかと思いきや二本の燭台を手にして戻ってきて、炎を死体に引火した。火は勢いよく燃え盛り隣の死体を巻き込んで、やがて死体遺棄の部屋は火の海、ペペロビッヒはもういない。


気持ちいいはずの冷たい外気が何時になく冷たすぎるのは、後ろめたさの証拠か戦の剣呑さを感じ取っていたのかは分からないが、立身出世の第一歩を踏み出す場の雰囲気には適していた。
(_感無量っ!何たる仕合わせなのかしら。お姉さまたちに束縛されないなんて。エアリエルは何処なのかしらっ。)彼女は好きな小説に登場する妖精エアリエルを信じていた。よく姉たちはエアリエルをだしにして彼女を手懐けた結果だった。『全くもう。ほんとに落ち着かない子ね。静かにしないとエアリエルが来ちゃうわよ』『えっあのエアリエルが来てどうするの』『強風が吹いてお前を攫います』『そうなの。じゃあわたしエアリエルに攫われたいわ_最初はなすがままにしてあげる。急に起きた物事は暫くそのままにしておいた方が面白いことになるのよ_姉様はそれを知ってる?でもそれは待っていたら起こらないの、わたしが行動しないとだめ。エアリエルだって待ってるばかりじゃあわたしを攫ってくれないじゃない_だからこうして落ち着いてられないの。エアリエル、来て_』『はあまた訳の分からないことを言って困らせないで_あんたは賢いんだか分からないわ。そういうことなら、騒いでいるうちはエアリエルは来ませんよ』『どうして?』『エアリエルは煩い子が嫌いなの』『じゃあ静かにするわ』『そう、それこそ天才』『うん、エアリエルはきっと来るわ_ねえお姉様、エアリエルが来て私を攫ってもね、きっとどうせ、私は飽きちゃうの_だからその時は、エアリエルをぶっ殺して帰ってくるわね!』
殆どの兵士が砦から出向したテリヤ砦をほっつき歩いていると、警護兵やらがいないものだから砦の面積がやたらに広く感じられる……広大な敷地を見渡してる感じる、開放的自由を通り越して虚しさ。(人の心理はつくづく不思議なものだわ)
表門を目指すと、そのうち内堀に水が溜まって出来た池に突き当たった。そこそこに大きい池で養育されている鯉が何十匹も泳ぐ。水面の蓮、その間に浮かぶ紫の月。表門が遠いばかりに少し気の滅入ってきた彼女はその光景が何だか無視できないものに思えて、裾が濡れないよう池に近づいた。次に月を眺め始めた。紫色の輪郭は水面に妖しく映えて、彼女の目を光らせるが_その月が造り物_姉たちの呪術であることを知っていたからに、次第に鬱陶しく感ぜられ、更には監視の目のように思えてきたりした。小さくため息を吐く。
(エアリエルがいないだなんて、わたしは知っているわ_けど、いるって信じさせてくれてもいいじゃない。ううんきっと、世の中にはエアリエルよりすごいのが沢山いるの。百万人を一斉に殺戮したり、人の皮をあっという間に剥いだりできる妖精さんが)彼女の読書がやや偏っていたのは言うまでもない。
(そういうのがいるんだから、エアリエルもいない訳ないの。信じたいの私_だから私は外の世界が見たいわ。姉様、お願い許して。)
すると微かな足音。聞こえた方をみると、今までに見たことのない身なりの人物がいて、彼は忍び寄るような姿勢を正して「悪かった脅かそうとしたわけじゃない」と言う。そして立つ彼女の隣に体育座り。彼女は気にしない。大きな帽子から覗ける表情の(この悲しそうな目つき)が気になったからだ。
「あなた迷子なの」
「迷子ちゃあ迷子」
「どこから来たの」
「お城の外から」
「まあ」
外の人間に興味を覚えた彼女は彼と同じように体育座りした。
「あなた軍人さんなのね」
「そんなところだよ」
「軍人さんなら背を伸ばして誇り高くあるべきだわ。あなたには仲間がいるんでしょう。そんな悲しい顔をして戦うなんて、仲間に向かって死にたいって言ってるようなものよ、ほら」
「その仲間が死んだんだ、さっき」
「えっと……ごめんなさいね、わたし外のこと全然知らなくて……」
彼から香るのが死臭だと分かり、外の世界で戦争が起きていることを思い出して、自らの無神経さを省みる……思えばどんな戦闘が起きてどんな情勢でどんな理由で誰が戦っているのか、何から何まで知らない。(こんな……こんなことったら、無いわ……私はいったい何者なのかしら。私はいったい世界における何なのよ……)
「君は何故ここにいるんだ」
「えっと、外を見たくってね。わたし全然世間知らずだから外の世界を見たいの、でもお姉さまが外に出ていけないって言うわ。わたしは外で色んな物を見聞きして……つまり一人前になる修行がしたいのに。」花が沈んでぽちゃんと鳴って水面の月が割れる。「そしたらきっと、このディアナの夜にだって協力できるんだわ。この大呪術は泄謨觚みんなでやるのにわたしだけ、わたしだけ参加できないの。わたしは天才だってみんな言ったのに、でもそんなことなくて全然ものを知らないから、だめだめで……エアリエルなんて信じちゃって馬鹿なのよ、本当は無能なんだ、わたし……」
言葉は自身を苛む思いによって勢い良く飛び出してきたが、自己中心的で突き放した印象、更にはこの軍人の気持ちに障る言葉だったかもしれないと思い直し、またも後悔。顔を腕の中に沈める。軍人は何も言わなかった。
月が存在を主張し初めた。
それは実際的に大きくなったり小さくなったりしているわけではない。
あなたが世界を見る視界がゆっくりと近付く。
月はあなたの画面でその面積を拡大し始めていく。
そうやって月はあなたの視界で存在を大きくした。
次第にぼやけていた模様が鮮明になる。
しかし再びぼやけ始めた。
月はまず輪郭からぼやけていった。
それはあなたの支配に無いことを意味している。
解き放たれた月は輪郭から解き放たれて最早その色だけでしか月であることを判別できない。
ズームダウン。
ゆっくりと全貌が現れる。
それはツキだった。
もはや月は月をやめてしまった。
だが誰がツキを責められるだろう。
月でいる責任はツキになかったはずだ。
月がツキであっても月でなくても月は月を辞められない。
だからツキであることを選択した。
幸いにも紫色の月は現実になかったからそれをツキと呼んでよかった。
ツキの表面で行き場をなくした兎。
彼は万策尽きた表情で佇んでいる。
かつて地面であった<それ>やかつて地球であった<それ>を眺めてはため息を繰り返して足ひとつ踏み出さない。
「困るよ。勝手に月をやめないでよツキさん。僕の住処がなくなっちゃうじゃないか」
「ごめんね。でも僕は月でいられなかったんだ」
「どうして」
「誰のためにもなることが疲れたんだ」
そんな身勝手なと口から出かけたが同じ感傷を何度も経験していた兎はツキを気にかけて口内の言葉を喉奥に追いやり思い直す。
こんな言葉じゃない。
違うんだ。
かわりに僕が言うのは。
「僕はこれからどこへ行けばいいのツキさん」
「簡単さ。ここから消えればいい」
「どうやって?」
「それは望まなくともやってくる」
彼がようやく口を開いた。
「君は呪術か魔術が使えるのか」
「どっちも出来るけど何にも知らないから中途半端よ」
「テレパシーは?」
出来るけど、と言った彼女の手を彼は掴んだ。(隊長、隊長、応答願います、生きていますか、それとも死んでいますか)手を掴まれて急に黙った彼をみて彼女は彼の声を聞きながら彼の顔をみつめた。彼の顔は先と打って変わって悲しそうな顔をやめて、それは彼女からみて希望の読み取れる顔をしていた。彼の声は彼女を通って、城壁を越えて空高くへ登り、月へ向かうように大きく湾曲線を描いて、見定めた方向へ急降下、直撃。(ペペロビッヒどうしてお前が〈声〉を使えるんだ)(その話は後にして今そちらへ向かいます)彼は彼女の手を離して立ち上がった。
「帰るのね軍人さん」
「もちろん君は連れて行く」
「飽きたらぶっ殺すわよ」エアリエルを信じてみたかった。

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