世界はいまだlainだもの。

注 またくだらない記事です。

昨日は生放送をした。ひとりの雑談に慣れないあまり「明日から鏡に向かって言葉を投げる練習をしよう」と決意させられた。そして今は液晶に向かって言葉を打っている。今日はlainの話をする。プレゼント・デイ。プレゼン・タイム。アハハハハハハ。


serial experiments lain。シリアルエクスペリメンツレイン。
今世紀の混迷は予言されていた。こう書くと胡散臭いと返ってきそうだが、現実の情況は残念だけどもっと胡散臭い。小事を見るとほんの些細なつぶやきでSNSが炎上したり、匿名の慟哭が国会に響き渡り流行語賞を獲得したり。大事を見ると隣国で急進派の大統領が当選したり、過激なやり方の大統領が大国に事実上「中指を立てた」り。「いろいろあった」の言述で済ませるに難しい世間だ。まるでポップコーンが爆発したみたいに。火はもう限界温度でポップコーンははちきれんばかり。膨らんだ包紙は図に乗った悪ガキだから、世界は図に乗った悪ガキのDJによってチェケラッチョ!冷蔵庫に入って自撮りをSNSにアップだ!あの子やこの子よ見てくれよ!自撮り!パシャ!そう自撮。自撮と書いてジサツと読みます……「僕は、加速するのを感じた……書類送検された少年はこう供述しており、それに対してハイデガー教授は「我々は共同存在。目も当てられない。」とツイッターに投稿したところ横からクソリプが飛び「横から失礼します。あなたはナチスに加担しましたよね? 人間は共同存在と説くならば〜」「ナチのカスがご立派なことを」「アーレントがどうしたって?」ご覧のとおり飛び火した模様です。

「時折ツイッターをみていると、タイムラインのツイートが神に祈るような所作に思えてくるよ。「インターネットに神はいるんだろうか。」私は孤独な言葉を投げてみた。零いいね零リツイート。『僕たちの祈りは空しく風に消えてゆくけど、神様だけは知ってるでしょ?』神様は何も言わない。神様は存在できない。神様は応答しない。本当に? インターネットに神様が存在しないって、まだ言ってるの? 確かに神様はいないかもしれない。でも、インターネットなら神様の存在余地があるかもしれない。現実の余地可能性は一掃されたしまったけれども、インターネットなら、インターネットなら……」

lainは古びれない。lainはいつだって強いのさ。メタファライズ、意志、パワー、目の光、存在。設定こそインターネット導入初期の時代だけど、そこで描かれているコトはいつの時代だってありふれたコトなのさ。芸術学部、女子校、軽音楽部、男子高校生、etc……日常アニメはこれまで数多く作られてきたね。しかしどの日常も見る時代が違えば非日常アニメさ。江戸時代に『あずまんが大王』を、平安時代に『けいおん!』を見てみろ。「いとおかし」で済むかい? いや済むかもしれないね。済みます。きっと面白いことだろうね。でも『lain』ならきっと、いつの時代だって変わらない反応があると思う。「なにこれ」「うわあ」「テレビを消しなさい」みたいな。そして一部のマニアックなギーグが「いとおかし」な反応なんだろう。悲しいね。

lainに先見の明はある。「lainは抽象的なわかりづらい預言だった」って、マジキチ呼ばわりされようとも唱えるよ。見てほしいから具体的にどこがどうとか言わないけどね。逃げてもいいさ!にんげんだもの

たぶん見る価値は何よりもある。私がアニメを知らないだけかもしれないけども。世界はもっとlainの価値に気付くべきなんだと思う。攻殻機動隊はやっと実写化された。信じられない。今更すぎる。lainももしかしたら……? その先鞭となれるときは今しかないし、たぶんこれからきっと。

べつにlainが「現代を透徹した」とか「預言した」とか分かりやすい受け売りを持っていようが持ってなかろうが、それでも時代はlainなんだと思う。否が応でもlainは遍在してきた。それが証拠だ。今わたしたちはlainで描かれてる時代に生きてる。いや入ろうとしてる。もしかしたらずっとやってこないかもしれない。lainは来ない。でもきっとlainを向かい入れるときがきっとやって来る。世界の歴史がトンネルなら、私たちはlainのトンネルの入り口でずっと足踏みしてる。先を、覗いてみる気はない?

@goodbyewoosiete