曲がり角は無修生です


今回は油絵を描いた。
去年の冬か今年の初めだったか、それくらいの時期に声がかかった。主催者とは「よい仲」であって、たぶん一番近い表記は「戦友」だ。闇の中を共に潜り抜けた。そんな感じの。
そんなこんなでお声がかかった。当時は「アングラな感じ〜」と聞いていて、なるほどそれで私に声をかけたのか、と思っていたけれども、見てくだしあ。画像。これ。風? 薫る? ポストカードがとても爽やかですね……曰く、「なんかそうなった」らしい。
ポストカードに載せる詩を書き下ろしていたのだけど、“爽やかが全裸で逃げ出す”内容だったので、全体の調子を欠くとかでボツになった。しかし「私はあの詩好きなんだけどな〜」と言ってくれた手前、ボツのままというのも勿体ない。なのでポートレートに載っていると思う。

本題。今回は油絵に挑戦した。
かつて私は油絵が大嫌いだった。色が混ざる。筆が汚い。油臭い。思うように色が作れない。つまりどうにも手間が掛かる。同じ筆絵の水彩は油絵の嫌な理由が水で濡らせば解決するから、嫌いでなかった。ただし好きでもなかった。もともと色塗りが好きでなかった。ブログを見てくれてる皆さんは知っているかもしれないけど、私がネットに挙げている絵は殆どモノクロだ。どうして色を塗らないかって? 特に深い理由はない。色塗りが本当に好きじゃなかった。だから油絵も好きじゃなかった。
やがて時を経て、ヨーロッパ美術史の勉強をわりと真面目にやった。それから絵画も見るようになった。読書好きが高じたという理由もある。私の好きな映画監督デヴィット・リンチのインタビュー集や、彼の作品の絵画を見ているとなんとなく油絵がやってみたいなあ、なんて気持ちがふんわりと沸き起こってきて、それからフランシス・ベーコンの画集を見て、完全に踏み切った。「勇気づけられた」……違う……「励まされた」……違う……「彼のパッションに当てられた」。ベーコンは肖像画が特に好きである。見たままのイメージをキャンパスに流し込んでムリヤリ鋳造するようなその暴力性。そして出来上がりの躍動感はあまりにもリアルだ。私はその芸術性に力強く握られて、きたない汁をドバドバ吹き出すしか無く、気付くと油絵にそれを塗りたくっていた。人間的な、あまりに人間的な!
詩を書き始めてから感覚が変わった。私の過去の作風を知っている人間なら、そう感受してもらえると思う。全身の肌を取り替えたと言うか。でも流れる血は変わってない。相変わらず変なことをしているし、もしかすると場違いかもしれない。それでも今回の自作はこれまでいちばん愛せる絵になったと思う。見てもらえるとわかると思うが、人のために描いたってこともある。だから作品づくりでやってしまう私的なクセを意識的に抜けた。今後もそれをどう抜くか手心がわかったし、どう作るかも分かった。方法が見えたのだ。ラカン精神分析のおかげでもあります。

恐らく自分の曲がり角でありながら、これからは胸を張って絵画の代表作といえる作品ができたと思う。そんなこんなで風薫る皐月展をよろしくお願いします。

ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念

ジャック・ラカン 精神分析の四基本概念

@goodbyewoosiete